1つはシューマン、1つはドヴォルザーク、そしてもう1つがハイドンのものです。
ハイドンはチェロ協奏曲を2曲書いています。
第1番 ハ長調はスズキ・メソードの卒業検定曲にもなっていますので、そちらでご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、3大コンチェルトの1つに数えられているのは第2番 ニ長調の方です。
この2曲はどちらも作曲当時ハイドンが務めていた"エステルハーズィ"という貴族のお抱えオーケストラでチェロを弾いていた、アントン・クラフトという人のために書かれたと言われています。
それで驚きなのが、このエステルハーズィのオーケストラには、なんとチェロ弾きがアントン・クラフト1人しかいなかったということなんです!
確かにハイドンが活躍していた時代のオーケストラは現代のものと比べて非常に小編成で、扱う楽器数も少なく、一人の奏者が1曲の中で複数の楽器を掛け持ちすることもまれではありませんでしたから、せいぜい40人もいれば大きな方かも知れません。
エステルハーズィのオーケストラはそれよりもっと小規模で指揮者もいませんでしたが、きっとその分、音楽監督であるハイドンのもとに親密な演奏が繰り広げられていたに違いありません。
ご存じのように協奏曲はオーケストラの伴奏の前で独奏者が華やかな主役を演じますが、アントン・クラフトはこの伴奏と独奏の二役を一人でこなしていたことになります!
そのためハイドンのチェロ協奏曲では、独奏チェロが弾いている間は伴奏パートのチェロはお休みになっています。
反対に独奏が休んでいる間は伴奏が活躍するというわけです。
もちろん現代ではそれを分業して演奏しますが、クラフトは当時1曲中休まずに大変でしたでしょうね。協奏曲中、独奏者はメロディーの切れ目で普通お休み出来るのですが、彼はそれをマラソンか駅伝のようにずっと演奏し続けたのですものね!
今度この曲を耳にする際は、アントン・クラフトのことを思い出して聴いてみて下さい!
飯塚