2009年08月29日

意外な人物が

バッハのピアノ曲の一つに「イタリア協奏曲」と呼ばれるものがあります。

実際バッハが付けたタイトルは「イタリア風協奏曲」でしたが、これはこの曲が、当時イタリアで流行していたヴィヴァルディ(を筆頭とするヴェネツィアの作曲家たち)のスタイルで書かれたものだったからです。

ヴィヴァルディといえば有名なピアノ曲が!…1曲もありません…。では何故ヴィヴァルディのスタイルなのかというと、ヴァイオリンやオーボエなどの旋律楽器がオーケストラの伴奏で演奏する、あの一般的な協奏曲を模したものだったからです。


バッハの活躍した当時、ピアノは実はまだキチンと発明されておらず、鍵盤楽器の中で最も頻繁に使われたものの一つがチェンバロ(英語ではハープシコードと言います)でした。


チェンバロは豪華なものは鍵盤が2段になっています。

下鍵盤の方が少し大きい音、上鍵盤の方が少し小さい音がします。いずれにしても、今のピアノの音量には届きませんが!


バッハはイタリア協奏曲の中で、さかんに「フォルテ(強く)」と「ピアノ(弱く)」の指示を出しているのですが、これはチェンバロにおいて、下段を弾け、上段を弾け、という指示なのです。


音の(多少)大きな下段はオーケストラ・パート、音の(多少)小さな上段は独奏パート、と言った具合です。


ですから、現代のピアノでこれを演奏する際は注意が必要です。独奏パートが華やかに活躍すべき場面を、単に小さく弾いてしまう危険性もあるからです。想像するだけでとても難しいですね!


さて、このイタリア協奏曲を日本において初演した人物をご存じですか?


答えはなんと、あの滝 廉太郎なんです!ちょっとビックリですよね!


飯塚
posted by suzukimethod at 11:44| 音楽コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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