東日本大震災から早10年が過ぎました。
この機会に改めて街を眺めてみると、まだまだ「復興途中」の景色がこんなにも多いことに気が付きます。
一番復興が進んでいるであろう仙台ですらこうなのですから、沿岸地域や、原発付近の地域に至ってはさぞかしと、思いを巡らさずにはいられません。
現在、飯塚クラスには、震災と同じ10歳になる子が通ってきてくれています。
「Mちゃん」と呼びますが、海を愛でる素敵なお名前です。
震災の2週間前に生まれたMちゃんとお母さんは、お父さんのご実家のある「野々島」で産後の療養と子育てを兼ねて過ごしていたところ、あの津波に遭遇してしまいました。
塩釜の沖合い、浦戸諸島にある野々島は、実は震災の前年まで、仙台支部が秋の恒例行事としている芋煮会の会場として毎年お邪魔していた場所でした。
塩釜の桟橋、マリンゲートから船に乗って島々をめぐり、途中うみねこ達にスナック菓子をやりながら(現在は禁止だそうです)30分ほどで野々島に到着、桟橋近くにコミュニティセンターのような場所があり、そこのホールで生徒さんと指導者はグループレッスンを、保護者の皆さんには隣の調理室で宮城風・山形風の芋煮やカレーなどを作って頂き、レッスン後にみんなでお腹いっぱい美味しく頂いて、食後は島を散策して海の景色を堪能し、また船に乗って爽やかな風を受け塩釜まで戻る、というのがお決まりのコースでした。
当時参加して下さった皆さんには、一様に美しく楽しい思い出として心に残っていることと思います。
その野々島が、被災しました。
当時53戸あった家屋が、3戸を除き全て流されてしまったとのことです。
地震の直後、ご実家にいらしたお母さんとMちゃんは、ただならぬ揺れの大きさから津波を予見してすぐに迎えにいらしたお爺ちゃんに急かされるようにして車に乗り、高台に避難したことで無事でした。
その高台にある浦戸小学校が避難所となり、そこから窮屈な生活がしばらく続いたと言います。
本来であれば、当然新生児は「夜泣き」の時期です。周りへのご迷惑にならないかとお母さんは心配されたそうですが、しかしながらMちゃんは、家族以外の方々も一緒に生活しなければならないその状況を察してか、不思議と夜泣きせずに過ごしたと言います。
陸続きの地域でさえ、物資やライフラインの復旧にはそれなりの時間を要したあの時期、島の環境が整うまではどれ程の期間が必要だったでしょうか。
そもそも商店の少ない島には、おそらく生活必需品のストックが元から乏しかったに違いありませんし、救援物資が届くのもスムースにはいかなかったでしょう。
しかもあの時は非常に寒かった。周囲が海に囲まれていては、ことさらだったことが想像されます。
そんなネガティブなことで覆われた中、Mちゃんの存在は、野々島の皆さんには癒しとなり、未来への希望となっていたのかも知れません。赤ちゃんの放つ生命力の輝きは、周囲へも不思議と伝搬することを、誰しも経験しています。
皆さんMちゃんのことを気にかけてくださり、赤ちゃんの存在を喜んでくれたばかりか、ただでさえ少ない支援物資の中から、貴重な飲み水を、Mちゃんのお風呂用にと、次々惜しげもなく分けて下さったそうです。
支援を受ける立場の方々が、さらに見せた、助け合う心。
災害に対する物理的・精神的備えはもちろんのことですが、こうした互いを支え合う気持ちも、同時に心の中に用意しておかなければいけないのだと、教えられます。
そして、10年が過ぎました。
震災後、Mちゃんは仙台に移り、週末はいつも野々島で過ごし、自然や人々に育まれて大きくなりました。
葉加瀬太郎さんが大好きなお母さんの影響もあり、Mちゃんはあこがれだったヴァイオリンを2年生の終わりから始めました。
「皆さんのおかげでこんなに大きくなりました」という感謝の気持ちを伝えたくて、Mちゃんはヴァイオリンのミニ・コンサートを企画し、3月6日に開催しました。
少しずつ、島の復興は進んではいるものの、震災以前のようになることはとても難しいようです。
お爺ちゃんの家は奇跡的に残った3件のうちの1件でしたが、流されてしまった他の家々は、あの時でさえ高齢の皆さんがお住まいでらしたので、そこからまた資金を調達してまでの建て替えには当然至らず、現在では仮説住宅からアパート暮らしに切り替えられたという方々が大半だそうです。
その、アパートに囲まれたスペースで、Mちゃんは演奏しました。
島の皆さんもとても喜んで下さり、次々に声を掛けて下さったり、「あの時の赤ちゃんが‥」と涙を流された方々もいらっしゃったそうです。
今のMちゃんに出来る、心のこもった最高の御返しだと思います。
仙台支部は、あれ以来、野々島にはお邪魔していません。
あのころ道々咲いていた花々は、塩害のためか、見かけなくなってしまったそうです。
しかし、Mちゃんの存在は、野々島が育てた一輪の「花」なのかもしれません。
いや、きっとまだ「つぼみ」で、これからもっと大輪の花を咲かせてくれることでしょう。
コロナ禍で、まだ気軽に島にはお邪魔出来ない状況下、昨今の地震の頻発にも、まだ心を悩ませなければならない様です。
8月14日の野々島花火大会が、今年も無事に開催され、島にまた元の賑わいが溢れると良いな、と思います。
飯塚