2013年06月06日

チャレンジャーズ・ライブ

本日6月6日、せんだいメディアテークにて行われた、

仙台国際コンクールの関連イベント、『チャレンジャーズ・ライブ』

を聴きに行って参りました!




6名の方が演奏されたのですが、皆さんそれぞれに個性があって、

とても楽しく、素敵な演奏会でした!

 


こうして世界各国からの出演者の皆さんの演奏を聴かせて頂くと、

その音楽の背後に、文化や環境など様々なバック・グラウンドを感じ取ることが出来、

普段よく聴く同じ曲でもまた違った、新しい発見が沢山ありました!




毎日生活している街に居ながらにして、世界の文化を感じ取ることが出来るなんて、

なんと有難く、素晴らしいことでしょう!




出演された皆さんにとっても、仙台で過ごした時間がプラスになっていることを

願っています!



飯塚
ラベル:コンサート
posted by suzukimethod at 00:22| 音楽コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月05日

「謝」

スズキ・メソード仙台支部のブログをご覧の皆さま


随分とご無沙汰を致しております…

長期間更新がなされず申し訳ありませんでした!



この○ヵ月間、仙台、東北には本当に色々なことがございました。



被災地である東北の我々に世界中から多大なるサポートを頂戴も致しました。



こうしてまたブログを再開し、情報を発信していくことで、

私たちの復興を少しでもお伝えできればと願っております!



こうして皆様への「お詫び」と、「お礼」の気持ちを書き表そうと思いましたところ、

どちらも「謝」の字を使うことに気が付きました。



「謝辞」と「感謝」


どうして同じ字を用いるのか調べましたところ…



「謝」は、「言」ベンに「射」と書きます。


「射」はもちろん矢を射ることで、ピンと張りつめた弦を

矢を放つことで緩めることを表すそうです。


つまり、『「言」葉の矢を「射」ることで、張りつめていた心の緊張をほぐす』

のが「謝」の核となる意味なのだそうです。



ですから、「謝やまる」のも「感謝する」のも

『「申し訳ない」と思う気持ちを言葉にして、心の負担を軽くする』


ということになるのですね。



この文章を書いたくらいでは、僕の肩の荷はまだちっとも軽くなってはいませんが…。



飯塚


posted by suzukimethod at 21:18| 音楽コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月02日

こちらも乙なんです。

この間の書き込みからずっとシューマンにハマっておりまして、色々と聴き直している次第です。


で、今日はチェロについて書いてみます。


シューマンはチェロのために、ソナタこそ書かなかったものの、小品を結構残してくれています。

それらは極めて個性的な曲が多く、シューマンらしさに満ち満ちています。


シューマンの、ピアノ以外の楽器のために書かれた器楽曲は、楽器指定が複数あることが多いんです。

例えば、ヴィオラのために書かれたけれど、チェロやヴァイオリンでも弾いてよい、というような感じです。


ホルンとピアノのためのアダージョとアレグロという曲があるのですが、この曲もやはりチェロでもヴァイオリンでも演奏可能です。

というより、むしろチェロで弾かれることの方がむしろ多いのでは?と思える程です。

で、この曲が、また個人的に大好きなんです。

シューマン特有の、陰りを含んだロマンティシズムがとてもたまらないんです。


まだお聞きになったことの無い方は、この機会に是非!

飯塚


posted by suzukimethod at 00:28| 音楽コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月30日

乙なんです。

皆さまご承知の通り、今年、2010年はショパンとシューマンの生誕200年記念の年です。

本日はシューマンについて書いてみます。


ショパンはもちろん、シューマンもピアノ曲を数多く作りました。

本人自身もピアニストを目指していましたが、手の故障により断念、その後は妻でもあり、当時最高のピアニストの一人でもあったクララ・シューマンのために、数々の名曲を残しました。

とはいえ、シューマンの曲はちょっと地味めといいますか、哀愁を帯びているといいますか、認知度もそれほど高くはないように思われます。

たとえば誰でも聴いたことがあるほどの有名なものが、『トロイメライ』か、頑張って『楽しき農夫』といったところですよね。


そもそも、シューマンや、一つ年上のメンデルスゾーンといった作曲家たちは、一方で超絶技巧を駆使した作品や演奏家たちを称賛しつつ、他方において、自分たちは「技巧のための技巧」に終わるような曲は書かないというモットーがあったようです。

その信念が、シューマンの曲の中には貫かれていると感じます。


技術的にはかなり高度なものが要求されていながらも、聴衆はその技術の高さに対してではなく、音楽そのものに称賛を贈ることになる。


そうした曲作りへの姿勢が、シューマンの音楽をシューマンの音楽たらしめているように思われてなりません。


そして、そこがまたたまらなく良いんです!


ちなみに個人的に非常に好きなのは、『ウィーンの謝肉祭の道化』という曲です。あまり演奏頻度が高くないように思われるのですが、気のせいでしょうか?


もしそうなら、ピアニストの皆さま、このシューマン・イヤーには是非、お聞かせ下さい!

飯塚

posted by suzukimethod at 15:22| 音楽コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月23日

一里塚

いやいや、すっかりとご無沙汰してしまいました!

今日を機会にまた更新をして参りたいと思います!


思いっきり秋眠、冬眠、春眠している間に季節はもう梅雨になってしまいました。

春の天気が今年は異常で雨続きだったのに、気がつけばもう梅雨です。雨の連続攻撃です。


天気が悪くてアウトドアが楽しめない時には、音楽とともに1日を過ごすのも乙なモノですね。


仙台では昨日、5月22日(土)から、仙台国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門が始まりました。続いて行われるピアノ部門と合わせると、約1ヶ月に及ぶ長丁場です。

このコンクールは、予選の段階から全ての出演者の演奏がストリーミング映像で鑑賞出来るのです。ありがたいことですね!

ヴァイオリン部門の予選は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲 第3・4・5番からいずれかを選択する様です。

第4・5番はスズキの教本の第9・10巻に収められている、学習者に取っては一つのマイルストーンとも言える曲ですよね。開場に足を運べば、その生演奏が1日に何度も、もし開場まで行けなくともインターネットを通じて好きな時に楽しめるのは、本当に嬉しい限りです!

CD等から耳だけで鑑賞するのはもちろんのこと、こうして実際に演奏する姿が見られるというのは、学習者にとっても、指導者にとっても、大変参考になります。

是非この機会を利用したいものです!!

第4回仙台国際音楽コンクール
http://www.simc.jp/index_j.html

ストリーミング映像はこちら
http://www.simc.jp/streaming4th/index.html

飯塚
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2009年09月16日

漕げ漕げお舟

飯塚教室演奏会は10月17日(土)です!


音楽は言葉を越えた文化の代表でありながら、音楽そのものは、言葉の影響を少なからず受けて成り立っています。


例えば、我々日本人が作る音楽は日本語のリズムや抑揚をいつの間にか反映したものになっている、というわけです。


もちろん、特に現代のように世界同時進行的な世の中では絶対ではありませんが、時代を遡るほど、歌詞の有無に拘わらず、そうした影響がその音楽の「アイデンティティ」を作る一つの要素になっているということは、間違いなく言えると思います。


ですから、たとえ何となくでも、色々な外国語の発音やイントネーションのイメージを頭の隅に置いておくことは、外国の音楽を解釈、理解したり演奏、表現したりする際に、非常に役に立ちます。


他にも、いわゆる「国民性」やその国の文化なども、当然ながら影響していますが、やはり言葉によるそれはとてもストレートに現れます。


イタリア語の母音の豊かさが、あのカンタービレを作り出すのでしょうし、

ドイツ音楽のキッチリとした進行はドイツ語の響きに似ていますし、

フランス音楽の持つ独特のアンニュイさは、フランス語の雰囲気そのものですし、

英語のポップスに良くある速いスキップのようなリズムは、英語の抑揚そのまんまです。


以前、「マザーグース」の詩を吹き込んだCDを聴いたところ、それがなんとイギリス起源のダンス、「ジーグ」のリズムと全く同じでした!


音楽は文化交流の入り口となり、言葉がその次のステップとなるのですね。

飯塚
ラベル:言葉
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2009年09月14日

61の制約

ピアノという楽器は18世紀の初めに誕生しました。

クリストフォリという製作家が「発明」したのですが、それ以前に活躍したチェンバロに比べて鍵盤のタッチが重く、バッハなどはお気に召さなかったようです。


発明当時のピアノを、現代のピアノと区別するために便宜上“フォルテピアノ”と呼んだりします。

なぜ区別する必要があるかというと、様々な点が異なっているからです。


まず鍵盤の数ですが、現代のピアノが88鍵あるのに対し、当時は61鍵が普通でした。チェンバロなどもその数が通常です。今のものと比べて高音域と低音域が少ないのですね。

ですから、バッハやヘンデル、ハイドンやモーツァルトの楽曲などは、この鍵盤の範囲よりも高い音、低い音が出てこないというわけです。


そして、弦を張る力も違います。現代のピアノは中を覗くと大きな「鉄板」の様なものが入っていて、それに弦をかなり強く張ってあります。何トンという力だそうです!これによってとても大きくて力強い音が出せるわけです。

ところがフォルテピアノは外見も中身もボディはすべて木製です。ですからあまり強く弦を張ると木の板が歪んでしまいます。それに伴い、音の大きさもそれなりでした。


そうすると当然見た目も違います。細身で、華奢で、木材の質感の分かる外見をもつフォルテピアノに対し、真っ黒で、いかにも重たそうな現代のピアノは、まさに「楽器の王様」といった風貌です。


フォルテピアノは、ベートーヴェンの時代、というよりもベートーヴェンの音楽的要求に合わせて?、急速に進化をしていきました。

鍵盤数もその時代に88鍵まで増えましたし、大型化に伴い音量も増しました。ピアノはその内部で弦をたたいて鳴らす構造ですが、そのシステム自体も変化していきました。


現代の様な形に落ち着いたのは大体20世紀に変わる頃です。スタインウェイによって現代の形にまで変化を遂げました。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、このピアノの進化と共にあります。

第1番、第2番はモーツァルト時代と同じ小さなフォルテピアノで弾かれましたが、第3番、第4番、そして偉大な第5番という風に、徐々に音楽の規模も、必要な鍵盤数も、大オーケストラに対抗するだけの音量も増していきました。

ベートーヴェンの音楽的要求がピアノを発展させたのか、もしくはピアノの発展がベートーヴェンをインスパイアしたのか。


そのような観点から各協奏曲を聞き比べてみるのも、面白いですね!

飯塚
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2009年09月09日

友、遠方より来たる

今日は、昨日のスズキ教育法研究会に出席するため、わざわざ札幌から仙台まで来て下さった山同直樹先生と、昼食・お茶かたがた、沢山お話しをさせて頂きました。

山同先生と私は同い年ということ、そしてスズキ・メソードの地区区分では「北海道・東北地区」という同地区所属であるということなどの理由もあり、親しくさせて頂いております。


同地区とは言え、札幌と仙台は海を越えなければなりませんし、年数会の全国イベントを除けば、普段はなかなかゆっくりとお話しさせて頂く機会もないので、ここぞとばかりにお互いの近況や普段のレッスンでのことなど、様々に情報交換し合いました。


このように全国各地に同じ志の下、同じ様な喜びや悩みを持って日々活動している方達がいらっしゃるというのも、なんとも心強いものです。

ちなみに、札幌支部山同クラスのホームページはこちらです。

飯塚
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2009年09月07日

クロスオーヴァー

仙台では今週末、毎年恒例の“定禅寺ストリートジャズ・フェスティバルが開催されます。

けやき並木に覆われた定禅寺(じょうぜんじ)通りとその周辺が、沢山のバンドやお客さんで埋まります。


ジャズ・ヴァイオリンといえばステファン・グラッペリと、何と言ってもスタッフ・スミスが有名です。


スタッフ・スミスのあの独特の、しゃべるような歌うような、自由自在の演奏、グルーヴ感は、とてもマネの出来るものではありません!ホントに魅力的です。


また、もともとはジャズ畑のジョージ・ガーシュインの曲も、クラシックの演奏会では良く演奏されます。


ラヴェルのヴァイオリン・ソナタの第2楽章“ブルース”も、クラシックとジャズのクロスオーヴァーとして有名です。


普段クラシックの方を沢山聴かれる方も、普段は敬遠しがちな方も、どちらの視点からも楽しめる音楽です。


というより、あまりジャンルにこだわっていても、仕方ありません。音楽は音楽なんです。


飯塚

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2009年09月06日

こぼれ落ちた。

せっかく頑張って掴みかけたものが、その直前に手からこぼれおちる…そんなことって、ありますよね。

私は頻繁に経験していますが、たった今も、また経験しました。


数十分かけて書いたブログが、なぜか保存されなかった…。

何かの操作ミスに違いありません。


そんな時は、むなしさで一杯になりながら、それをネタにまたブログを書く。


一度きりしか使えない手ですが!


今日書いて儚く消えたあのネタに合掌しつつ、いつかまたここに復活させることを心に誓いつつ。


明日また頑張ります…。


ともあれ、何か一つくらい。



最近、またバッハの無伴奏ソナタとパルティータを聴く機会が増えました。


しかし、これは本当にとてつもない曲です。


1720年に書かれてから、約290年くらい経っても、その輝きはまるで失われることがない。


とても難しく、容易には扱えないし、もし万が一、仮に技術的に演奏が可能になったとしても、その演奏解釈がまた非常に難しい。


どの方角から登っても、簡単なコースが無い、険しい山のように聳え立っています。


それでいて、その姿は厳格にして美しいだなんて。



おそらく今後500年経っても、ずっと金字塔のままなのでしょう。


ちなみに私はまだ、その山に近づく道に迷い続けています。


消えた文書と全然違うものを書いてしまった。

飯塚

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2009年09月05日

魔法の笛

世の中にオペラ数あれど、モーツァルトの「魔笛」ほど親しみやすいものはそう無いでしょう。

親子で楽しめる、入門オペラの決定版です。


お話の内容も非常に分かりやすく、音楽も楽しさ満載です。

コミカルなキャラ、「パパゲーノ」が常に表情をにこやかにしてくれます。


この魔笛は、作曲当時からとても人気が高く、大当たりでした!


しかし残念ながら、モーツァルトは「魔笛」の人気のさなかに亡くなってしまいます。


モーツァルトは子供時代、父親に連れられてヨーロッパ各地を旅行し、行く先々で「神童」としてもてはやされ、沢山の曲を残しました。


ところが段々と青年期から成人してゆくにつれ、その人気に陰りが見え始めます。


周囲の反対を押し切ってウィーンに出て、そこで当時はまだ珍しかった、フリーの音楽家として活動を始めます。


初めこそ大人気でしたが、そこでもどんどんと人気が落ちて行きました。


借金を重ね、病気にもなり…苦悩を重ねているそんな中、久々に大ヒットとなったのが「魔笛」だったのです。


もしかしてもっと長生きしていたら、このヒットがきっかけでまた人気が復活したかも知れません。



ちょっと話が暗くなりましたが…反対に、そんなときに書かれたこの「魔笛」に満ち溢れた明るさ!


どんな状態でも、音楽に徹する職人としてのモーツァルトのすごさです。


飯塚

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2009年09月04日

より良き1回

スズキ・メソードでは、「練習は食事と同じ」扱いです!

つまり、「ご飯を食べる日は練習をしましょう!」「練習をしなくて良い日があるとすれば、食事をしない日です!」ということなのです!


毎日欠かさず練習!を目標に、生徒の皆さんは自宅での学習に取り組んでくれています。

本当に毎日…家族旅行などにも旅先に楽器をもって行く、あるいはピアノの場合には現地で楽器を手配などして、病気やけがなどをしないように自己管理にも十分気を配り…欠かさず練習するにはどれほどの努力が必要か!練習そのものに励む生徒さんもさることながら、それを支えるご家族の皆さんにも、本当に頭の下がる思いです。


しかし反面、毎日同じように練習を繰り返していると新鮮味が無くなり、集中を欠いた「作業」になりがちです…。

練習量がより多ければ、それだけ能力が育つのが人間のシステムですから、もしも内容に乏しい練習を繰り返せば、それだけ内容の乏しい能力が出来あがってしまうことになるのです。


ですから、昨日よりも今日、今日よりも明日、今の1回よりも次の1回をより良きものにしていくことが要になってきます。


しかしながら、この「より良き1回」が本当に難しい。

この実現のために、どういったヒントがあるのか?

スズキ・メソードの本質に拘わる部分です。


この続きはまた!

飯塚
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2009年09月02日

ここにもあそこにも

普段の生活の中で、結構クラシック音楽に触れる機会はあるものです。

1番はTV、中でもCMは印象に残るものが多いですよね。

気になる曲があったら、好機を逃さず、そこから思い切ってCDを購入してみるのも良いかもしれません。

曲名などが分からなくとも、今はインターネットの時代ですから、きっとすぐ調べが付くはずです(ちなみに私は昔TV番組のBGMが気になり、TV局に電話をかけて問い合わせたことがあります。すぐに教えて下さいましたよ)!


学校で歌った曲が、実はクラシックの名曲だったりすることもありますよね。

たとえばドヴォルザーク交響曲 第9番 「新世界より」の第2楽章が「遠き山に日は落ちて」として、もしくはスメタナ交響詩「わが祖国」の第2曲「ヴルタヴァ」が「モルダウ」の名で歌詞がついた合唱曲として親しまれていたりします。こうした曲は、大人になってもメロディがずっと頭の中に残っていたりするものです。


そういった曲があったら、思い出とともにもう一度楽しんでみるのも、とてもワクワクすることです。

そのときに感じたことや、出来事など、きっと思い出されることでしょう。


そうした思い出を、ご家族で共有するのも素敵ですよね!


色々な場所に、機会は転がっているものです。

飯塚

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2009年09月01日

エピソードI,II,III

管楽器が華やかに活躍する協奏曲は、何故かあまり多くありません。

もちろん無いわけではないのですが、ピアノやヴァイオリンのためのものに比べると、数は少ないのが現状です。


それでもモーツァルトには管楽器が主役になる曲が多いですから、演奏会や録音などでも良く取り上げられます。


どんなものがあるかと言いますと、

フルート協奏曲が2曲

オーボエ協奏曲が1曲

ファゴット協奏曲が1曲

ホルン協奏曲が4曲

フルートとハープのための協奏曲が1曲

そして彼の生涯最後の協奏曲であるクラリネット協奏曲が1曲です。

また2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネという曲にも管楽器のソロがあります。

ちなみにモーツァルトが初めて書いた協奏曲というのがどうもトランペットのためのものだったらしいのですが、こちらは現在楽譜が見つかっておらず、いまだ謎のままです…。


他にも、複数の管楽器(オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット)のための協奏交響曲があり、これはモーツァルトの自信作でしたが!…こちらにいたっては、初演の直前に楽譜が丸ごと紛失してしまいました…当時モーツァルトはパリのオーケストラ奏者達のためにこれを書いたのですが、楽譜が突然無くなったのは、「自分の名声を妬んでの誰かの陰謀」という由のことを語っています。これも非常に残念ですね!しかしこのエピソードが非常にモーツァルトらしい。


またフルート協奏曲は2曲あるのですが、その第2番といのが実はオーボエ協奏曲の焼き直し版で、当時モーツァルトに大金を払って作曲を依頼した人物は、新曲でなかったことに立腹したという記録も残っているようです。これもモーツァルトらしいエピソードですね!


モーツァルトより前の時代に遡りますと、バロック期には「協奏曲の鬼」といっても過言ではないヴィヴァルディや、楽曲の多さでは誰にも負けないテレマンらをはじめ、管楽器の協奏曲は数を増してきます。


そういった伝統を次の古典派の時代にもキチンと受け継いでいるところもまた、非常にモーツァルトらしいところです。

飯塚
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2009年08月31日

ポニョへの情熱大陸

レッスンをしていると、たまに「先生、これが弾きたいんです!」と言って、自分で用意した楽譜を持ってきてくれる子がいます。

そうした場合、多くは久石 譲さんのお書きになったスタジオ・ジブリの映画音楽や、葉加瀬 太郎さんの「情熱大陸」などですが、やはりどれも共通しているのは、生徒の皆さんが普段耳にしている作品だということです。


スズキ・メソードの生徒たちは、普段から音楽を良く聴くように、教本に付属のお手本を良く聴くように、と指導者から言われています。

それは、無形の音楽的センスをこれほど高く深く、しかも本人も気付かないうちに、いつの間にか身につけてしまう、などという方法は無いからでもありますが、同時に、「この曲を弾きたい!」という学習意欲を高めることにも繋がっているのです!

子供たちが、日頃聴いている曲を弾きたがっていることが、何よりの証拠です。


飯塚
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2009年08月30日

ヘンデルは歩いてこない

今年はヘンデル・イヤーといことは、以前このブログにも書きました。

ヘンデルは1685年生まれ、1759年没ですので、2009年が没後250年記念に当たるのですね。


ヘンデルと言えば「メサイア」などが有名です。

メサイア」のように、オーケストラと合唱、そして配役を伴った独唱者で一つの物語を歌によって上演する形式を「オラトリオ」と言います。

オペラとどう違うかというと、ものすごく簡単にいうと、舞台装置の有無、ステージを動き回るような実際の演技の有無、というところでしょうか。


オラトリオもさることながら、彼の最も得意としたジャンルはオペラでした。


オペラもオラトリオも、1作品大体2時間くらいで上演されるとして、1つ完成させるのに大変な時間と労力が必要とされそうですね!


ところが、このオペラとオラトリオを、ヘンデルは何と70作品近く作っているのです!全くスゴイことですよね!


残念ながら、普段はなかなか「メサイア」以外のヘンデルのオペラ・オラトリオを見る機会がありません。


もちろんバロックのオペラやオラトリオは、モーツァルトなど古典派以降のオペラと違って内容もある程度決まったもの…つまり、英雄の逸話、歴史もの、宗教的なものがほとんどです。ごく普通の一般大衆が主役の恋愛劇などは描かれません…。


しかしそれだからと言って、ヘンデルのオペラの価値が下がることがあるはずがありません!

素晴らしい音楽の宝庫なのです。


ヘンデル・イヤーの今年、まだまだ見る機会もあるはずです!

向こうからやって来ないなら是非、自分から機会を作ってしまいましょう!

飯塚
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2009年08月29日

意外な人物が

バッハのピアノ曲の一つに「イタリア協奏曲」と呼ばれるものがあります。

実際バッハが付けたタイトルは「イタリア風協奏曲」でしたが、これはこの曲が、当時イタリアで流行していたヴィヴァルディ(を筆頭とするヴェネツィアの作曲家たち)のスタイルで書かれたものだったからです。

ヴィヴァルディといえば有名なピアノ曲が!…1曲もありません…。では何故ヴィヴァルディのスタイルなのかというと、ヴァイオリンやオーボエなどの旋律楽器がオーケストラの伴奏で演奏する、あの一般的な協奏曲を模したものだったからです。


バッハの活躍した当時、ピアノは実はまだキチンと発明されておらず、鍵盤楽器の中で最も頻繁に使われたものの一つがチェンバロ(英語ではハープシコードと言います)でした。


チェンバロは豪華なものは鍵盤が2段になっています。

下鍵盤の方が少し大きい音、上鍵盤の方が少し小さい音がします。いずれにしても、今のピアノの音量には届きませんが!


バッハはイタリア協奏曲の中で、さかんに「フォルテ(強く)」と「ピアノ(弱く)」の指示を出しているのですが、これはチェンバロにおいて、下段を弾け、上段を弾け、という指示なのです。


音の(多少)大きな下段はオーケストラ・パート、音の(多少)小さな上段は独奏パート、と言った具合です。


ですから、現代のピアノでこれを演奏する際は注意が必要です。独奏パートが華やかに活躍すべき場面を、単に小さく弾いてしまう危険性もあるからです。想像するだけでとても難しいですね!


さて、このイタリア協奏曲を日本において初演した人物をご存じですか?


答えはなんと、あの滝 廉太郎なんです!ちょっとビックリですよね!


飯塚
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2009年08月28日

田園風

スズキ・メソードの教本の中に収められた曲に、「ミュゼット」の名を持つものが出て参ります。

バッハをはじめ、バロック時代の作曲家達が数多く作曲しました。


この「ミュゼット」は、現代フランス語では「アコーディオン」のことですが、アコーディオンは1800年代に入ってから考案された楽器なので、バロック時代にはまだ存在していませんでした。


ではこの場合の「ミュゼット」は一体何を指しているかというと、「バグパイプ」のことなのです。厳密にいえば「バグパイプに似た構造を持つ、ミュゼットという楽器」なのですが、見た目や音などのイメージは、小さなバグパイプといった感じです。


バロック時代のフランスでは、太陽王と言われたルイ14世がとても踊り好きだったため、王お抱えの作曲家たちは皆、ダンス、バレエの曲を沢山書き残しました。


ですからフランスにおいては、アルマンド、クーラント、サラバンド、ガヴォット、メヌエット、ブーレ、ジーグ、パスピエ、シャコンヌ…などなどは、舞踏会のなかで実際に踊るために作曲したものだったのですね。こうしたダンス曲を一纏めにして「組曲」と呼んだりしています。


ちなみにドイツの作曲家であるバッハも、このような曲を沢山書いていますが、バッハの場合は、実際に踊るためというよりは、フランスの流行りを真似て、フランス風の曲を書いた、と言った方が当てはまるかも知れません。


さて、そのルイ王朝下のフランス貴族達の間に、「田園趣味」が流行していました。ものすごく簡単に言うと、郊外の雰囲気にあこがれ、ピクニックなどして楽しんでいたようです。


バグパイプは羊飼いたちの楽器でもありましたから、その音によって「田園」の雰囲気を楽しんだのでしょう。当時のフランスでは楽器の「ミュゼット」そのものも大変流行したみたいですね。


「ミュゼット」以外の楽器、たとえばチェンバロや、ヴァイオリンや、オーボエや、オーケストラ全体でも、ミュゼットっぽい音楽が演奏されました。すなわち、バグパイプのように、ずっと同じ音の低音が鳴り渡る上に、のんびりとしたメロディーが乗っかっている、あの雰囲気です。


ですから「ミュゼット」というタイトルを持つ曲には、必ず「ずっと同じ音で鳴り続ける低音(ドローンと言います)」が聞かれます。


また、「ミュゼット」は良く「ガヴォット」と結びつきます。ガヴォットを演奏していると、部分的にミュゼットが登場することが本当に良くあります。(モーツァルトのヴァイオリン協奏曲 第4番の第3楽章にも、部分的にこのガヴォット・ミュゼットのペアが出現します。)


そうした場合、少し「田舎っぽく」演奏するのがコツです!?少なくとも、シャキシャキと都会風に弾いてはいけません!


ただ私のように、「身体からみなぎる真の田舎臭さ」を出しすぎてもいけません!

飯塚
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2009年08月27日

歌うように

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を学習するにあたって、どうしても聴いておきたい曲があります。

同じくモーツァルトの書いたモテット、「エクスルターテ・ユビラーテ(踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ) “Exsultate, jubilate, K.165(158a)”」という声楽曲です。


ソプラノが主役になり、オーケストラの伴奏に乗って美しいメロディーを歌いあげる曲なのですが、これがまさに「ソプラノのための協奏曲」とでも言えるような作りをしているのです。

曲全体の構成も、初めに元気で楽しい第1楽章的な部分があり、次にしっとりとした第2楽章が続き、最後に軽快な第3楽章にあたる部分が奏されます。

これが驚くほどヴァイオリン協奏曲を演奏する上で参考になるのです。

特に第5番は、この曲のイメージそのままに演奏することが出来ます。



よく、楽器を弾く人間は「歌うように弾きなさい!」と言われます。

特にモーツァルトではそうです。


しかし、どのように歌えば良いのかというヴィジョンが頭の中になければ、それを楽器で再現することなど出来るはずがありません。

ですから、楽器を扱うものもキチンと声楽を勉強するか…さもなくば、声楽曲をたくさん聴いて、イメージを頭に蓄積しておくことが必要でしょう。


同じ「歌う」でも、宗教曲の厳格なイメージなのか、オペラのプリマ・ドンナのイメージなのか、合唱曲の1パートを担当しているかようなイメージなのか。


18世紀の音楽家たちに広く浸透していた格言的なものの一つに、「歌えないものは弾けない」というものがあります。

楽器は、「楽器」の中で終わってはいけないのかも知れませんね。

飯塚
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2009年08月26日

チェロ駅伝

チェロ協奏曲には「3大チェロ協奏曲」と呼ばれる有名なものがあります。

1つはシューマン、1つはドヴォルザーク、そしてもう1つがハイドンのものです。


ハイドンはチェロ協奏曲を2曲書いています。

第1番 ハ長調はスズキ・メソードの卒業検定曲にもなっていますので、そちらでご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、3大コンチェルトの1つに数えられているのは第2番 ニ長調の方です。


この2曲はどちらも作曲当時ハイドンが務めていた"エステルハーズィ"という貴族のお抱えオーケストラでチェロを弾いていた、アントン・クラフトという人のために書かれたと言われています。


それで驚きなのが、このエステルハーズィのオーケストラには、なんとチェロ弾きがアントン・クラフト1人しかいなかったということなんです!

確かにハイドンが活躍していた時代のオーケストラは現代のものと比べて非常に小編成で、扱う楽器数も少なく、一人の奏者が1曲の中で複数の楽器を掛け持ちすることもまれではありませんでしたから、せいぜい40人もいれば大きな方かも知れません。

エステルハーズィのオーケストラはそれよりもっと小規模で指揮者もいませんでしたが、きっとその分、音楽監督であるハイドンのもとに親密な演奏が繰り広げられていたに違いありません。


ご存じのように協奏曲はオーケストラの伴奏の前で独奏者が華やかな主役を演じますが、アントン・クラフトはこの伴奏と独奏の二役を一人でこなしていたことになります!


そのためハイドンのチェロ協奏曲では、独奏チェロが弾いている間は伴奏パートのチェロはお休みになっています。

反対に独奏が休んでいる間は伴奏が活躍するというわけです。


もちろん現代ではそれを分業して演奏しますが、クラフトは当時1曲中休まずに大変でしたでしょうね。協奏曲中、独奏者はメロディーの切れ目で普通お休み出来るのですが、彼はそれをマラソンか駅伝のようにずっと演奏し続けたのですものね!

今度この曲を耳にする際は、アントン・クラフトのことを思い出して聴いてみて下さい!

飯塚
posted by suzukimethod at 16:58| 音楽コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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