実際バッハが付けたタイトルは「イタリア風協奏曲」でしたが、これはこの曲が、当時イタリアで流行していたヴィヴァルディ(を筆頭とするヴェネツィアの作曲家たち)のスタイルで書かれたものだったからです。
ヴィヴァルディといえば有名なピアノ曲が!…1曲もありません…。では何故ヴィヴァルディのスタイルなのかというと、ヴァイオリンやオーボエなどの旋律楽器がオーケストラの伴奏で演奏する、あの一般的な協奏曲を模したものだったからです。
バッハの活躍した当時、ピアノは実はまだキチンと発明されておらず、鍵盤楽器の中で最も頻繁に使われたものの一つがチェンバロ(英語ではハープシコードと言います)でした。
チェンバロは豪華なものは鍵盤が2段になっています。
下鍵盤の方が少し大きい音、上鍵盤の方が少し小さい音がします。いずれにしても、今のピアノの音量には届きませんが!
バッハはイタリア協奏曲の中で、さかんに「フォルテ(強く)」と「ピアノ(弱く)」の指示を出しているのですが、これはチェンバロにおいて、下段を弾け、上段を弾け、という指示なのです。
音の(多少)大きな下段はオーケストラ・パート、音の(多少)小さな上段は独奏パート、と言った具合です。
ですから、現代のピアノでこれを演奏する際は注意が必要です。独奏パートが華やかに活躍すべき場面を、単に小さく弾いてしまう危険性もあるからです。想像するだけでとても難しいですね!
さて、このイタリア協奏曲を日本において初演した人物をご存じですか?
答えはなんと、あの滝 廉太郎なんです!ちょっとビックリですよね!
飯塚