2009年08月29日

意外な人物が

バッハのピアノ曲の一つに「イタリア協奏曲」と呼ばれるものがあります。

実際バッハが付けたタイトルは「イタリア風協奏曲」でしたが、これはこの曲が、当時イタリアで流行していたヴィヴァルディ(を筆頭とするヴェネツィアの作曲家たち)のスタイルで書かれたものだったからです。

ヴィヴァルディといえば有名なピアノ曲が!…1曲もありません…。では何故ヴィヴァルディのスタイルなのかというと、ヴァイオリンやオーボエなどの旋律楽器がオーケストラの伴奏で演奏する、あの一般的な協奏曲を模したものだったからです。


バッハの活躍した当時、ピアノは実はまだキチンと発明されておらず、鍵盤楽器の中で最も頻繁に使われたものの一つがチェンバロ(英語ではハープシコードと言います)でした。


チェンバロは豪華なものは鍵盤が2段になっています。

下鍵盤の方が少し大きい音、上鍵盤の方が少し小さい音がします。いずれにしても、今のピアノの音量には届きませんが!


バッハはイタリア協奏曲の中で、さかんに「フォルテ(強く)」と「ピアノ(弱く)」の指示を出しているのですが、これはチェンバロにおいて、下段を弾け、上段を弾け、という指示なのです。


音の(多少)大きな下段はオーケストラ・パート、音の(多少)小さな上段は独奏パート、と言った具合です。


ですから、現代のピアノでこれを演奏する際は注意が必要です。独奏パートが華やかに活躍すべき場面を、単に小さく弾いてしまう危険性もあるからです。想像するだけでとても難しいですね!


さて、このイタリア協奏曲を日本において初演した人物をご存じですか?


答えはなんと、あの滝 廉太郎なんです!ちょっとビックリですよね!


飯塚
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2009年08月28日

田園風

スズキ・メソードの教本の中に収められた曲に、「ミュゼット」の名を持つものが出て参ります。

バッハをはじめ、バロック時代の作曲家達が数多く作曲しました。


この「ミュゼット」は、現代フランス語では「アコーディオン」のことですが、アコーディオンは1800年代に入ってから考案された楽器なので、バロック時代にはまだ存在していませんでした。


ではこの場合の「ミュゼット」は一体何を指しているかというと、「バグパイプ」のことなのです。厳密にいえば「バグパイプに似た構造を持つ、ミュゼットという楽器」なのですが、見た目や音などのイメージは、小さなバグパイプといった感じです。


バロック時代のフランスでは、太陽王と言われたルイ14世がとても踊り好きだったため、王お抱えの作曲家たちは皆、ダンス、バレエの曲を沢山書き残しました。


ですからフランスにおいては、アルマンド、クーラント、サラバンド、ガヴォット、メヌエット、ブーレ、ジーグ、パスピエ、シャコンヌ…などなどは、舞踏会のなかで実際に踊るために作曲したものだったのですね。こうしたダンス曲を一纏めにして「組曲」と呼んだりしています。


ちなみにドイツの作曲家であるバッハも、このような曲を沢山書いていますが、バッハの場合は、実際に踊るためというよりは、フランスの流行りを真似て、フランス風の曲を書いた、と言った方が当てはまるかも知れません。


さて、そのルイ王朝下のフランス貴族達の間に、「田園趣味」が流行していました。ものすごく簡単に言うと、郊外の雰囲気にあこがれ、ピクニックなどして楽しんでいたようです。


バグパイプは羊飼いたちの楽器でもありましたから、その音によって「田園」の雰囲気を楽しんだのでしょう。当時のフランスでは楽器の「ミュゼット」そのものも大変流行したみたいですね。


「ミュゼット」以外の楽器、たとえばチェンバロや、ヴァイオリンや、オーボエや、オーケストラ全体でも、ミュゼットっぽい音楽が演奏されました。すなわち、バグパイプのように、ずっと同じ音の低音が鳴り渡る上に、のんびりとしたメロディーが乗っかっている、あの雰囲気です。


ですから「ミュゼット」というタイトルを持つ曲には、必ず「ずっと同じ音で鳴り続ける低音(ドローンと言います)」が聞かれます。


また、「ミュゼット」は良く「ガヴォット」と結びつきます。ガヴォットを演奏していると、部分的にミュゼットが登場することが本当に良くあります。(モーツァルトのヴァイオリン協奏曲 第4番の第3楽章にも、部分的にこのガヴォット・ミュゼットのペアが出現します。)


そうした場合、少し「田舎っぽく」演奏するのがコツです!?少なくとも、シャキシャキと都会風に弾いてはいけません!


ただ私のように、「身体からみなぎる真の田舎臭さ」を出しすぎてもいけません!

飯塚
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2009年08月27日

歌うように

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を学習するにあたって、どうしても聴いておきたい曲があります。

同じくモーツァルトの書いたモテット、「エクスルターテ・ユビラーテ(踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ) “Exsultate, jubilate, K.165(158a)”」という声楽曲です。


ソプラノが主役になり、オーケストラの伴奏に乗って美しいメロディーを歌いあげる曲なのですが、これがまさに「ソプラノのための協奏曲」とでも言えるような作りをしているのです。

曲全体の構成も、初めに元気で楽しい第1楽章的な部分があり、次にしっとりとした第2楽章が続き、最後に軽快な第3楽章にあたる部分が奏されます。

これが驚くほどヴァイオリン協奏曲を演奏する上で参考になるのです。

特に第5番は、この曲のイメージそのままに演奏することが出来ます。



よく、楽器を弾く人間は「歌うように弾きなさい!」と言われます。

特にモーツァルトではそうです。


しかし、どのように歌えば良いのかというヴィジョンが頭の中になければ、それを楽器で再現することなど出来るはずがありません。

ですから、楽器を扱うものもキチンと声楽を勉強するか…さもなくば、声楽曲をたくさん聴いて、イメージを頭に蓄積しておくことが必要でしょう。


同じ「歌う」でも、宗教曲の厳格なイメージなのか、オペラのプリマ・ドンナのイメージなのか、合唱曲の1パートを担当しているかようなイメージなのか。


18世紀の音楽家たちに広く浸透していた格言的なものの一つに、「歌えないものは弾けない」というものがあります。

楽器は、「楽器」の中で終わってはいけないのかも知れませんね。

飯塚
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2009年08月26日

チェロ駅伝

チェロ協奏曲には「3大チェロ協奏曲」と呼ばれる有名なものがあります。

1つはシューマン、1つはドヴォルザーク、そしてもう1つがハイドンのものです。


ハイドンはチェロ協奏曲を2曲書いています。

第1番 ハ長調はスズキ・メソードの卒業検定曲にもなっていますので、そちらでご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、3大コンチェルトの1つに数えられているのは第2番 ニ長調の方です。


この2曲はどちらも作曲当時ハイドンが務めていた"エステルハーズィ"という貴族のお抱えオーケストラでチェロを弾いていた、アントン・クラフトという人のために書かれたと言われています。


それで驚きなのが、このエステルハーズィのオーケストラには、なんとチェロ弾きがアントン・クラフト1人しかいなかったということなんです!

確かにハイドンが活躍していた時代のオーケストラは現代のものと比べて非常に小編成で、扱う楽器数も少なく、一人の奏者が1曲の中で複数の楽器を掛け持ちすることもまれではありませんでしたから、せいぜい40人もいれば大きな方かも知れません。

エステルハーズィのオーケストラはそれよりもっと小規模で指揮者もいませんでしたが、きっとその分、音楽監督であるハイドンのもとに親密な演奏が繰り広げられていたに違いありません。


ご存じのように協奏曲はオーケストラの伴奏の前で独奏者が華やかな主役を演じますが、アントン・クラフトはこの伴奏と独奏の二役を一人でこなしていたことになります!


そのためハイドンのチェロ協奏曲では、独奏チェロが弾いている間は伴奏パートのチェロはお休みになっています。

反対に独奏が休んでいる間は伴奏が活躍するというわけです。


もちろん現代ではそれを分業して演奏しますが、クラフトは当時1曲中休まずに大変でしたでしょうね。協奏曲中、独奏者はメロディーの切れ目で普通お休み出来るのですが、彼はそれをマラソンか駅伝のようにずっと演奏し続けたのですものね!

今度この曲を耳にする際は、アントン・クラフトのことを思い出して聴いてみて下さい!

飯塚
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2009年08月25日

一人ずつ

ハイドンといえば交響曲を数多く作曲しことで有名です。107曲も書いたことから、「交響曲の父」とも呼ばれています。

ハイドンの交響曲は非常にユニークなものが多く、ニックネームを持つもの沢山あります。

たとえば、「朝」「昼」「晩」「火事」「悲しみ」「校長先生」「うっかり者」「時計」「軍隊」「V字」「ロンドン」などなど、まだまだ沢山あるのですが、中でもとりわけ面白いのが第45番「告別」です。


まず調性が「嬰ヘ短調」というのも強烈です。ハイドンといえども、この調は1曲しか使っていません。

ハイドンが活躍したこの「古典派」と言われる時代は、簡単に言うと「誰が聞いても楽しめる、明るくて分かりやすい音楽」が非常に好まれました。

ですから、短調が支配するこの曲は、とても異質な感じがしたはずです(もちろん「疾風怒涛期」という、こうした異質な曲が流行した時期もありましたが)。


しかしこの曲を、最もユニークならしめているのは、その最終楽章です。

なんと、曲が終わりに近づくに従って、演奏者が一人ずつ舞台から去ってゆき、最後には2人だけが残ります。


これはCDなどで聴いてもあまり伝わらないのです…というのも、「ホルンが休み」「オーボエが休み」「チェロが休み」なんてことは、シンフォニーを演奏中には普通にあることなので、舞台から去っていく姿が見えなければ、聴いている側は「単なる休みかな?」と思ってしまいます。


ところが、今年の1月1日に行われたウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートで実演を見ることが出来たのです!

ハイドン・イヤーを記念して取り上げられたのですが、なかなか第45番の実演を見ることは少ないので、非常に貴重な映像でした。


機会があったら皆さんも是非ご覧下さい!

飯塚
ラベル:ハイドン
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2009年08月24日

当たり前のことが、なかなか難しい

なかなか思うように弾けないフレーズがある。

何度も何度も繰り返してトライするが、やはりなかなか成功しない…。

そのうち段々と成功に近づき…。

ついに成功する!!!!

そして次のフレーズに移る。


っとこの最後のこれがいけないのです!

出来て次に移ってしまっては、「負け・負け・負け・負け…(中略)…負け・負け・勝ち!、終了。」となってしまいます!

99敗連続して最後にやっと1勝すると、なんだかこれ以降はいつ弾いても「出来るようになった」気がしてしまいます。

事実は、大きな大きな負け越しのままです。



この、ついに掴んだ1勝からが本当のスタートです。

おそらく、1勝してもまた何度も負けることでしょう。

ですが、きっと、「負け」の連続の中に「勝ち」の数が増え始め、そしてついに「勝ち」の連続がやってきます。

そして、新しい能力が根を張り、恒常的な力となっていくのです。


これも、スズキ・メソードの根本的考えの1つです。

飯塚

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2009年08月23日

結晶

8月25日火曜日午後1時から1時55分まで、BSハイヴィジョン クラシック倶楽部にて、イリア・グリンゴルツというヴァイオリニストの無伴奏ヴァイオリン・リサイタルが放送されます。


このリサイタルはこれまでも何度か放送されたことがあるので、ご覧になった方もいらっしゃるかと思います。


プログラムの最後に、
ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンストという作曲家の「無伴奏ヴァイオリンのための6つの多声的練習曲」という曲が演奏されますが、これが本当に本当にスゴイ!!!!


エルンストは
パガニーニに影響を受けた19世紀のヴァイオリニストです。ですからエルンストの曲は基本的に超絶技巧のものばかりです。超絶技巧にも程があります。


自らも偉大な演奏家であり、20世紀の大ヴァイオリニストを数多く育てたことでも有名な
レオポルト・アウアーも、「エルンストのヴァイオリン協奏曲は今までに書かれた最も難しい曲の一つ」と言っています。


残念ながらエルンストの曲はそれほどポピュラーではありません。最近は録音も増えているようですので、これからは少しずつ耳に出来る機会も増えてくるかもしれませんね。


それにしても、このグリンゴルツの演奏は一見、一聴に値します。というか本当にスゴイです!演奏会で取り上げ、あのレベルでの演奏を披露でき得るまでにどれ程の努力があったことか!もちろん、この曲そのものの練習のみならず、そこに至るまでのものも全てです。

演奏し終えた後の小さなガッツポーズが非常に印象的です。

是非、ご覧ください!

飯塚
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2009年08月22日

ありがたい

この9月に、ベーレンライター社から新しいエディションのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲が発売されるようです。これはちょっとワクワクしますね!


と、このことを書く前に、ベーレンライターとは何だ?を解明しておきますと、ドイツの楽譜出版社のことです。


世の中に楽譜の出版社は数々ありますが、このベーレンライターという会社は非常に分かりやすい特色があります。


それは、「作曲家がその手で書き記したものを、出来得る限り、その意図に忠実な印刷譜にして出版する」というものです。


「それって当たり前のことでは?」と思ってしまいますが、残念ながら?世に出回っている楽譜のほとんどは、このベーレンライターのポリシーから外れています。


なぜ外れたものをわざわざ出版するかというと、その方が実用的だからです。


たとえば、今回出版されるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、過去に遡れば相当な数の印刷譜が出版されたことでしょう。


その出版に際して、それを編集したり、校訂したりする方がいます。そうした方々が、明らかな間違いや手書きでは曖昧だった箇所に、訂正・補筆を施してから出版されます。もちろんこうした編集は客観的に行われるのですが、もちろん人間ですから、編者によって判断が異なる場合も出てきます。


それだけでなく、演奏に当たって我々が見たときに、作曲家が(当然ながら)書かなかった、弓使いや指番号や、本当は無かったスラーを付けて弾きやすくしてくれたり、「ここはスタッカートで弾いた方が良いだろう」「ここはリタルダンドすべきだろう」などなど元々は無かった記号を追加してくれたり、時には「ここはこの音のほうが良いかな」という具合に本来とは違う音やリズムに変えてくれたり!


という風に、主観的な数多くの「手」が加わって出版されることがほとんどなのです。ですから、同タイトルながら、楽譜の数だけ異なる内容のものが存在することになります。違いは、見た目だけではなかったのです!


ですが、こうした「手」のおかげで、実用的に、幅広い層の演奏者がその音楽を楽しむことができることも事実です。



ベーレンライターは、こうした後世の「手」を取り除き、「直筆譜どおりに出版」「もし直筆譜が消失した場合には、その道のエキスパートが研究により可能な限り原典に近づけて出版(この場合には詳細な校訂報告が付きます)」してくれるのです。

これは実用譜をわざわざ作って出版してくれることと同じくらい、有難いことです!


本来作曲家が意図していたことは何だったのか?に最も近づけるからです。


ところが最近のベーレンは、なんと実用譜も同時にセットにして販売してくれています。二重に有難いですね!


さて、このベーレン版の「べトコン(ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の通称)」はどのようなものなのでしょうか。カタログでは、オーケストラ用のスコアには100か所以上の訂正と、独奏パートにも音の訂正があると記されております。


いまから非常に楽しみです!(ちなみに私は楽譜を買うだけで満足する性格の典型です。


飯塚

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2009年08月21日

出会いは突然に

今月はじめにお伝えしていた松本の夏期学校でのお話をもう一つ。

夏期学校には、様々な「出店」が並びます。

もちろん、イベントの出店と言えばたこ焼き屋さんやかき氷屋さん!…ですが、夏期学校はやはり音楽に関係したお店、つまり楽器店や楽譜店などなどが来て下さいます。

今年はその中の楽器店で、大きな収穫がありました!

19世紀末から20世紀初めにかけて最も活躍した大ヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイの書いた「エクササイズとスケール」という楽譜が手に入ったのです!

楽譜店の奥に2冊だけ残っていたものを引っ張りだして持ってきていたもので、なんと1冊500円という破格値でした。

もちろん、そのとき一緒にいた九州の小川先生と共に即買いです。

実はこの楽譜はずっと欲しいと思っていたものだったので、非常に嬉しい出会いでした。


古ぼけた楽譜ですが、じっくりと弾いてみたいと思います。

飯塚
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2009年08月20日

1791

夏休みとともに久しぶりのブログになってしましましたが、今日からまた復活したいと思います!

さて、モーツァルトの死因に関して新説が発表されたようですね。

いずれにしましても、モーツァルトはそのお墓さえ特定できない状態ですから、当然死因も推測の域を出ないのでしょうが、やはり一モーツァルト・ファンとしては気になるところです。



H.C. ロビンズ ランドンという音楽学者の書いた「モーツァルト 最後の年」という、非常に面白い本があります。

ランドンは、ハイドンやモーツァルトといった古典派の作曲家の権威で、それに関する著作や校訂した楽譜なども数多く出版されています。

「最後の年」という本は、モーツァルトが亡くなる1791年12月5日までの1年を、数多く残された手紙や証言などを手掛かりにして追っていく内容なのですが、これが大変に興味深く、かつ感動的でもあります。

特にモーツァルトの死の直前の記述は、読む者の心に深く何かを残すに違いありません。



映画「アマデウス」でしかモーツァルトの最期をご存じない方は、是非お読みください!

きっと、レクイエムが聴きたくなります。

飯塚
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2009年08月10日

古くて新しい

早熟の天才作曲家と言えば、誰しも思いつくのがモーツァルトですが、そのモーツァルトに負けず劣らずの才能を発揮したのが、フェリックス・メンデルスゾーンでした。

38歳という若さでこの世を去っている点も、モーツァルトに似ています(モーツァルトは35歳で没しています)。


この二人の作曲家に共通する点はそれだけではありません。

早くから才能を発揮した陰には、両者とも非常に幼いころから音楽教育を受けていたことも、共通しています。

ですから、それぞれの同時代のどの作曲家にも増して、この両者の音楽には、彼ら以前の時代の音楽の遺伝子が強く息づいています。


面白いと思えるのは、今述べたように二人の音楽は非常にしっかりと伝統に基づいていながら、同時にそれまでの音楽にない新しさをとても巧みに表している点です。

時に、「新しい」というと、単に「目新しい」ものを提示するだけに終わってしまうこともあります。

しかし、伝統の先に施された新しさには、説得力が伴います。

音楽や作曲のこと、もしくは音楽史のことをあまり分かっていない場合には、一体何が新しいのか分からないことすらあるくらいですが、そのことが反対に、いかにこの二人の作曲家の音楽がしっかりとした土台の上に築きあげられているかという証拠でもあるのです。


現在最も演奏されているメンデルスゾーンの曲と言うと、もちろんヴァイオリン協奏曲 ホ短調がまず思い浮かびますが、この曲も、それまでのヴァイオリン協奏曲には見られない新しいことがふんだんに盛り込まれているのです。

しかし、何気なく聴いても、そんな難しいことは意識されない。ただただ美しく繊細で、どこまでも聴く者を惹き付けます。むしろ余計なことは考えず、音楽に浸ってしまいます(ちなみにモーツァルトのヴァイオリン協奏曲 第5番も、そうした新しさに満ちた究極の名曲です)。


「永遠のスタンダード」というと、確実なつくりをしていそうでありながら、実は新しさの塊でもある。そんな、一見相反するものがみごとに共存しているところに、さらに魅力を感じてしまいます。

以前ここで紹介させていただいた通り、今年はメンデルスゾーンの生誕200年記念の年に当たります。

メンデルスゾーンに近づくきっかけにしたいですね!

飯塚
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2009年08月02日

注目

毎年、注目を浴びる作曲家が変わります。作曲家の生没年に合わせ、「〇〇イヤー」としてその作曲家にスポットライトを当て、コンサートで多く演奏されたり、CDなど録音媒体も沢山発売されます。

今年は、
ヘンデルハイドンメンデルスゾーンが当たり年(?)です。

それぞれ、バロック、古典派、ロマン派を代表する作曲家たちですね。

この機会にCDショップなどに出かけてそれぞれの録音などを購入し、親子で曲風を比べてみるのも楽しいかもしれませんね。

よく「CDを買いに出かけても、何を買って良いかわからないです。」というお話を耳にしますが、こうしてその年注目の作曲家のものを聴いてみるのも、一つのきっかけになると思います。

このブログでも、いずれそれぞれの作曲家を取り上げる機会を持ちたいと思います。

飯塚

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2009年08月01日

天出臼夫

名曲探偵アマデウスという番組をご存知ですか?

NHKハイヴィジョン、 BS2ch、もしくは総合テレビでも放送している、クラシック音楽の名曲といわれているものを毎週1曲ずつ取り上げ、それが「どうして名曲なのか?」を解き明かしてくれる番組です。

このように曲の構造などを分析することを「アナリーゼ」と呼びますが、この番組ではそれをとっても分かりやすく説明してくれるので、小学生のお子さんからクラシックにやや疎遠な保護者の方まで、一緒に楽しめる内容になっています。

せっかくピアノやチェロ、ヴァイオリンを習っていても、それが単なる「習い事」の一つで終わってしまってはとても残念ですよね。

もちろん「やるからにはプロの演奏家を目指しましょう」と言っているのでは、全くありません。

音楽文化は生活に潤いを与えてくれます。音楽を一生の友とし、音楽に心を育んでもらうことは、言い尽くせないほど素晴らしいことですよね。

私たち指導者も、その喜びを生徒さんたちと共有できたら、という思いで普段のレッスンに取り組んでおります。


時には、「楽器を弾くのは好きだけど、音楽にはあまり興味がない」といった趣旨のさみしいコメントを聞くことがあります…。

こうした番組を楽しく観たことがきっかけで、音楽への興味がもっとわいてくれば、毎日の練習も、もっと意味あるものに変わってくるかも知れません。

是非一度ご覧ください!

http://www.nhk.or.jp/amadeus/

飯塚
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2009年07月31日

コロコロと

モーツァルト、と言わず古典派全体を代表しているような曲といえば、ピアノ・ソナタ ハ長調 K.545ですが、個人的に最もモーツァルトらしさを味わえる曲は、同じピアノ・ソナタ ハ長調でも、K.330だと思うのです。

モーツァルトの音楽は本当に面白い。

表情の変わり方が半端なく、1小節ごとにコロコロと変化していきます。

今笑ったかと思えば、今度は重苦しくなり、涙を一瞬見せたかと思えば、急に周囲を驚かせ、それに皆が騙されたことを楽しんでいる…。これが1小節、半拍ごとに訪れるんです。

また、単純な繰り返しはしないで、いつも次々と同じフレーズに手を加える…もしもモーツァルト本人が目の前で演奏してくれていたら、即興演奏としか思えないでしょう。サービス精神が本当に旺盛で、聴く者を常に喜ばせようとしています。

そんな特徴がふんだんに出ているのが、K.330なんです。特に第1楽章はモーツァルトの権化のような曲と言えます。

しかし、それも、彼の多様な音楽性の一部に過ぎない…モーツァルトの音楽は、「分かりやすい」音楽の代表のようでありながら、知れば知るほど実に奥が深い。


モーツァルトの弦楽器のための曲に関しては、また是非別の機会に書きたいと思います。

飯塚
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2009年07月30日

ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ

今日のBSクラシック倶楽部は、アンドリュー・マンゼのバロック・ヴァイオリンでしたね。

J.S.
バッハの「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」から、第2番 イ長調を演奏していました。

この「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」は全部で6曲からなる曲集で、個人的に本当に大好きです。残念ながら一般的にはあまり有名な曲も含まれておらず、ヴァイオリン弾きでも扱ったことがないという方も多いかもしれません。ですが、本当に良い曲の集まりなのです。

なのに何故有名でないかというと…単純化して申し上げますと、あまりメロディアスではないからです

ふつうヴァイオリン・ソナタといえば、もちろんヴァイオリンが主役であると想像します。ですからこの曲を聴くときも、ついついヴァイオリンを耳で追ってしまいます。

ところが「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」というくらいですから、ヴァイオリンと、チェンバロの右手と、チェンバロの左手という3声部が、それぞれ主役になったり、伴奏になったりと、一見ちょっとだけ複雑なので、あまりクラシック(というかバロック…というよりもバッハの)音楽になじみの無い方にとっては、少し難しく感じられるかも知れません。

ですが、良く考えてみれば3声の音楽なのですから、先日ここで紹介させて頂いた「インヴェンションとシンフォニア」と同じ作りをしているので、何も難しいことはないのです。単に、その中の1声部がヴァイオリンになっただけなのです。

さあ、これで今日から皆さんのライブラリーに新しい仲間が増えましたね!

まだお聴きになったことのない皆さん、是非是非トライしてみて下さい!


ちなみに、第3番の第3楽章は僕の、あらゆる曲の中で最も好きな曲です。

理由などなく、限りなく崇高で、本当に美しい、良い曲だからです。

飯塚

 
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2009年07月29日

究極の洗濯

梅雨の明けていない仙台は今日も雨模様でした。

いつもどこへ行くにも基本的に自転車を使う私にはこの時期の気候は非常にやっかいです。

一番悩むのが、雨を防ぐべく合羽を着るべきか否か、なのです。

やはりこの夏の最中、雨で湿度が上昇しきっている状態で合羽を着、自転車を漕いで長距離運転していると、合羽内は相当蒸れて、汗まみれになります。

雨で服が濡れるのを防ぐべく合羽を着たはずなのに、その合羽を脱ぐと中の服は汗まみれでビショビショ…着た意味があったのか…。

これならいっそのこと雨に濡れた方が良かったのでは、とも思えてしまう今日この頃、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ 第1番「雨の歌」が、しっとりと身にしみ入ります。

何年か前、ギドン・クレーメルとクリスチャン・ツィメルマンの “奇跡のデュオ” が、来日公演でブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲を演奏していましたが、これは、非常に聴きに行きたかったコンサートの一つとして、未だに心に引っかかっています。

CD化か映像化が成されるものと、期待していたのに…いや、まだ待ちます!


しかし、合羽は「着る」「着ない」どちらが正解なのか…?

答えはもちろん、「雨の日は自転車に乗らない」に決まってます。

悩みを深めつつ、「雨の歌」を聴きながらビショ濡れの服を洗濯機に入れるのでした。

飯塚
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2009年07月28日

お見舞い

ここの所、全国的に天候が不順で、大きな災害がニュースで報道されています。

スズキ・メソードは全国(と言いますか、世界各地に)教室がありますので、このたびの天災のあった地域で教えてらっしゃる先生方、生徒さん達、そのご家族に被害がなかったことをお祈りするばかりです。

不幸にして災害にあわれた皆様、心よりお見舞い申し上げます。


以前、仙台で大きな地震があったときには各地の先生方からお見舞いのメールなどを頂戴し、非常に励まされたことを思い出します。


こんなとき、音楽は大きな癒しとなります。

芸術は、人間の生み出したものでありながら、何か人知を超えた力があるのが、不思議です。

飯塚

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2009年07月27日

ん?

先週ラジオを聴いておりましたら、音楽を学ぶ人皆に通じる言葉が紹介されていました。

Only those who have the patience to do simple things perfectly will acquire the skill to do difficult things easily.  ―Johann SCHILLER

(簡単なことを完璧にやる根気強い人達だけが、難しいことを難なくこなす能力を身に付ける。)

これは本当にそうですよね…しかしこれが不誠実に行われがちです…もちろん僕の話ですが!


ん?

でもシラーの言葉ってことは元はドイツ語のはず…と言うよりもまずシラーの言葉だったのかと今書きながら気が付き…英語で紹介されていたので安易に英語圏の人の言葉かと思っていました…。

でもせっかくなので英語も載せておきます。

飯塚

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2009年07月25日

おや!?

夏休みに入って1週間余りが過ぎました。僕だけでなく、この長期休みを有効に活用して、普段なかなか思うようにできない勉強や楽器の練習に取り組みたい(または取り組ませたい!?)、と思って(またはもくろんで!)いらっしゃる方も多いことでしょう。

ところが、毎年いつの間にか休みは過ぎ去り、練習に励むどころか休み明けに近づくレッスンに恐れおののくことに…というパターンに陥ってしまいがちです。いや、これをお読みの皆さんではなく僕がです。

そこで至極当たり前のことに気が付いたのですが、夏休みを有効に利用したいならば、普段学校や仕事に行っている時間にこそ、その強化したいことをしなければ、まるで意味がないのですね!

しかしついつい朝寝坊…午前中を好きなことをして過ごして午後もゆっくりテレビを見ていたら、「おや、3時を回ったぞ!」の毎日。

これでは結局、残った時間はルーティンをこなすだけで終わってしまいます。そしてそんなこんなで気が付くと8月後半に突入…鏡を見るとそこにはムンクの名画が写っていることに…。

やっと気づいてしまったので、頑張ります…。

飯塚
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2009年07月24日

宝石を独り占め

ヨハン・セバスティアン・バッハは数え切れない程の名曲を遺していますが、その中で、一番私たちに近い所で輝いている宝石の一つが、「インヴェンションとシンフォニア」ではないでしょうか。

ご存じの通り、J.S.バッハが長男のヴィルヘルム・フリーデマンのピアノ(当時はまだチェンバロやクラヴィコードの時代でしたが)、そして作曲の教育のために書いた、いわば「練習曲」の一種ともいえる作品集で、2声のインヴェンション・3声のシンフォニアともに15曲ずつあります。

その1曲1曲がどれ一つ取っても本当に個性的かつ魅力的で、非常に確固とした作りの曲ばかりながら、いつ耳にしても、音楽の瑞々しさ、そして父親の愛情がそこここに感じられます。

ピアノ学習者にとっては、大きな憧れであると同時に、最初の大きな壁の一つと言われますが、ヴァイオリン弾きの私にとっては扱えるだけでもとても羨ましい限りです。

弦楽器用にアレンジされたものをたまに演奏する機会がありますが、2人または3人でそれぞれ1パートずつしか演奏することが出来ません。

2声3声を同時に独り占め出来るなんて、ピアノはとても贅沢な楽器ですね!

飯塚
posted by suzukimethod at 23:52| 音楽コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする